先日、3月27日から29日まで現地研修である知覧修学旅行研修を開催いたしました。
以下、代表小倉からの開催レポートとなります。
知覧研修についての代表レポート
2024年3/27-29で鹿児島へ10名の仲間で修學旅行に行ってまいりました。
参加者10名全員が色濃い仲間達でそのうち5名が「着物男子」という嬉しい姿。
観光地を歩けば「写真を撮ってください」と頂けたり、ポーランドの方々ととても仲良くなりみんなで写真を撮って語らったり、空港の店員さんにも観光地の現地の方にも「とっても素敵」と喜んでいただけました。
知覧1日目の研修について
初日は薩摩という藩で生きた人々を学んできました。
維新ふるさと館、黎明館、南州神社、仙巌園へ行きました。
島津斉彬や島津義弘で有名な島津家の名君達のあり方。
近代日本の始まりの地、薩摩ではなぜこれほどまでに現代日本に影響を与えることが出来たのか。
様々な要因の中で大きな要因の一つは郷中教育という薩摩藩独特の教育に大きく起因していると思います。
郷中教育とはまず先生という存在がなく、年上の人が年下の人に一日、徳育、体育、知育をしていく。
そして、学んだことを何をどう実行するのか?とその日の夜に同級生達と集まってディスカッションする。
リーダーシップ、実行力、判断力この3つをとことん鍛える教育。
何か答えを教えるのではなく、例えば「自分の親が殺されてしまった。武士としてその仇を討つのは本分。その為、敵討に出た。しかし乗っていた船が沈んでしまい、絶体絶命の危機で命を救ってくれた人がいた。その後も看病をしてくれて、親切にしてくれようやく身体が治ったタイミングでその命の恩人が親の仇だと知った。さあ、貴方ならどうするか?武士の本分に生きその相手を叩き切るか。それとも己が情に身を任せ、相手によって自らの選択を変えるのか?」
上記皆さんならどうしますか?
こんな教育をしていたそうです。
正解はない。それでも自分が何を大切にして生きるのか?
このことを深く考えてきた薩摩の志士たちは何を大切にすべきかを自ずと答えを導き出していったと。
中でも郷中教育で大切にされてきたことは、六つ。
②心身を鍛えよ
③嘘を言うな
④負けるな
⑤弱いものいじめをするな
⑥質実剛健たれ
うん。実にシンプルでかつ大切。
真の教育とは何なのか?そのことを深く考えさせられた1日でした。
知覧2日目の研修について
2日目は万世特攻平和会館、知覧特攻平和会館、富屋ホタル館に行きました。
今、僕たちが当たり前のように生きられてるこの人生の土台に、17歳から32歳の若者たちが250キロもの爆弾を抱え、自分で操縦桿を握り散っていった最後の地上の場所。
1036名もの陸軍特攻なさった方々の後に続く人たちに伝えたかった言葉の数々。
その言葉に、その遺影を通して伝わる勇姿に僕らは今お金と時間さえ払えば見ることが出来る。
でもその裏側にあった知覧特攻平和会館初代艦長の板津忠正さんのご尽力あってその機会を頂けることの奇跡を知った上で行ったあの場所は昨年よりも遥かに遥かに僕にとって重みのある場所となりました。
初日の快晴と打って変わって、走る車が前が見えなくなるほどの大雨。
それは文字通り天候不良と言われる天気。
実は板津忠正さんのご子息、昌利さんの元へお伺いした時にもその日は大雨。
でもそんな時、昌利さんが「父は雨男でした。父は雨男で天候不良だっから生き残ったんです。そんな父を表す天気が雨。だから今日も雨ということは何を指すかというと父が喜んでるということです。」
そんな言葉を頂いていた僕たちからすると知覧の大雨は板津さんからの歓迎を指す。
だから雨が一入感慨深いものでした。
そして、何より驚いたのは桜。
昨年の4/8-9で知覧に伺った時、「桜の咲くこの場所でまた会おう」と特攻隊たちが話してたことが何となく自分に語られるように感じて今回3/27-29という、何とも皆さんにとっては行きづらい日程を選んだのです。(すみません😭)
でもどうしても「桜の咲く頃に来い」ってあの日言われた気がして、直感的に行きづらいかもしれないけどこの日って思ったんです。
その桜が今年は関東でも10年以上ぶりの開花宣言が遅れてる中、3/27初日の日快晴になったおかげで、3/28知覧を伺った日に大雨の中(板津さんの)、桜は満開に近い開花をしてくれたんです。
知覧の店員のおばさんに聞いたら「昨日は咲いてなかったのよ!昨晩から今朝にかけて一気に咲いたんだよー!英霊の皆さんが歓迎してるね^_^」と言われた時は鳥肌が立ちました。
一日早ければ咲いてなかった。
一日遅ければ雨で散ってしまってた。
もちろん後付けなのはわかってるけど、何だか僕には不思議な導きすら感じました。
今回の万世特攻平和会館に初めてお伺いして、特に印象に残った御遺書があります。
今田義基中尉の弟に宛てた遺書の一文。
「実行せよ。実行なき知識は価値のないものと同じ。とにかく実行せよ。口論はするな。とにかく実行せよ。」
この力強い言葉に、思いを実行で完結した人間からの後世へのメッセージに、自分に言われてるように感じました。
今僕たちは学んだことを聞いたことを見たことを何の実行で完結してくの?
次、何を実行して報告に来るの?
何だかそんなふうに問われているような気持ちになりました。
昨年初めて知覧に来た時はまだ何もないフリーランスの僕でした。
知覧ではただただ圧倒された自分でしたが、今年は胸を張って報告に行けました。
この素晴らしいお客様を見てください。
この素晴らしい仲間たちを見てください。
胸を張って言うことが出来ました。
でも、自分でわかってます。
まだまだ未熟で、まだまだ英霊が作りたかった世の中には至っていないことを。
だから当然もっと自分がやるべきことを今年宣言し、また来年この場所に来る時にやってきましたと報告できる自分であろうと決めました。
今回は10名でしたが来年は僕の本当に大切に思う方を30名と行きます。
次は丁度ホタルの舞う来年の6月の頃に。
知覧3日目の研修について
そして最終日は日の丸発祥の地、照国神社で島津斉彬公に鹿児島の地で4日過ごさせていただいたことの感謝を伝え、日の丸に掲げた世界を照らせる民族であろうという思いに誓いを立てて朝スタートしました。
昨日の大雨が運んでくれた木々の香り、大地から発せられるマイナスイオンと、昨日の大雨が嘘のようにそれはまるで僕たちを大きく照らしてくれてるかのような快晴の空の今日でした。
斉彬公の「やってこいよ!」そんな激励を感じ鹿児島の地を後にして、日本発祥の地、神武天皇の曽祖父にあたるニニギノミコトが祀られる霧島神宮に伺いました。
霧島には人智ではいまだに解明しきれない奇跡がたくさん起こる場所。
七不思議の一つ。特に驚いたのは、10〜3月は枯れ果ててる川が4月か5月になるとどこからともなく水が湧き出てくる。
それも雪解け水かなーと思うのですが今日行ってもわかりますが霧島には雪の一つもないんです。
まあまだここまでは理解できますが、なんとその干上がった川から溢れ出た水になぜか魚という生命が現れる。
えっ?どういうこと?干上がった川から魚?
人智を超えた何かって本当にあるんだなと思い、霧島神宮を訪れました。
昨日までの大雨がまたも快晴の空。
そして桜の花びらがひらひらと散る中、あの僕の大好きな坂本龍馬がおりょうさんと新婚旅行に来たこの場所に来ました。
ただただ、清々しく、神々しく、そして晴々しく参拝をさせて頂き、共にきた10名の皆さんが言ってました。
「手を合わせてご参拝してる時、温かい優しい風が吹いた」と。
それはまるで応援されてるような包まれた感覚。
僕も味わいました。
知覧研修最後のシェア
最後帰り際みんなで学びをシェアしました。
ある人は自分がアンビシャスで決めた志を実行できたと喜び、
ある人は自分の志がこの時間の中で目標にまで落とし込め、何をやるかが決まったと喜び
ある人はこうして仲間たちと熱く語らえた時間に人生の大切な1ページになったと喜び
ある人は自分が今の仕事を辞め独立することを固く決意した。
参加者の方が名言を言ってくれました。
この修學旅行は人生の縮図だと。
大切なのは修學旅行で終えないこと。
今日から実践からそれが修學旅行。
帰る時には親友のようになった10名。
広島へ愛媛へ大阪へ愛知へ埼玉へ千葉へ東京へそれぞれ帰って行く仲間と離れる時は何度も何度も握手してしまうくらい名残惜しいものとなりました。
その場所に行くから感じられることがある。
その場所に行くから学べることがある。
その場所に行くから出会える人がいる。
その場所に行くから出来る経験がある。
たった一つの人生でたった一回の人生で、僕と縁ある方にはぜひ来年の鹿児島には、知覧にはご一緒頂きたい。
交通の関係で、僕の力量の関係でまだ30名しかお連れできません。
でも2025年6月。ホタルの舞う頃にまた一緒に鹿児島に行きませんか?
知覧という場所は板津さんも仰っていました。
「行きたくても呼ばれた人しか行けない場所」。
今回も実は3名行けなかった方がいます。
良くも悪くも彼らにとって今ではなかったんです。
また整えて彼らが必ず来れる時が来ます。
この文章も必要な人にしか響かないと思ってます。
必要な人にしか届かないとも思ってます。
僕は毎年、こうして鹿児島で薩摩の方々と、何より特攻なさった僕らの大切なご先祖さまに毎年ご挨拶に偶数年はホタルの舞う頃に、奇数年は桜の舞う頃にお伺いしたいと思ってます。
来年はホタルの舞う頃に。
一緒に行きたいという方は先着30名となりますので、皆様と共にリアルな体験を味わえること、ぜひ僕もしたいです。